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体験記:What it’s like to...


未来の君主と会う

グレン・アダムス
研究グループ交換

 

昨年春、85歳になられた日本の昭仁天皇(現上皇)が退位されたとき、40年前に皇居で謁見したときの記憶がよみがえってきた。

1978年4月、私はロータリーが派遣する6人の研究グループ交換に参加した。その後にフィラデルフィア地域にある私たちの地区に日本から代表団が派遣される予定になっていた。日本でのロータリーの地位は高く、6週間の滞在中、私たちは一流のもてなしを受けた:宿泊は四つ星ホテル、豪勢な食事、フロントフェンダーに小さな旗のついた黒いリムジンでの移動。農地や工場、東京の築地魚市場(当時は世界最大)、国会議事堂を見学した。昔ながらの船で江戸川下りをしたときには、そこで釣った魚をさばき、油で揚げた料理が昼食だった。最高裁判所では、判事が自分の法服を喜んで私たちに着させてくれた。相撲部屋では、ビールと魚2匹、ワカメ、ハマチの刺身、出汁、豆腐、餅、麺という典型的な力士の昼食をいただいた。

一番思い出深い遠足は、東京からの電車で始まった。集落や田園を走り抜け、山の近くまで来たところで、3台の黒タクに分乗。険しく曲がりくねった道を上った後、ケーブルカーに乗り換えて広大な杉の森を越え、青々とした芦ノ湖で下車。17世紀の船を模した遊覧船で湖を渡った。翌朝の日の出時には、雪を冠した富士山の、息を飲むような情景にうっとりした。

当時はまだ皇太子だった昭仁殿下(父上であった昭和天皇はその後11年間君臨された)との待望の謁見は、皇居内の松材パネルがほどこされた部屋で行われた。皇太子が入室されると、ロータリーのホストの方々が恭しくお辞儀をしたので、皇室マナーの速習講座のごとく、私たちもそれに倣った。昭仁殿下は無地のブルーグレイのスーツと白いシャツ、濃い色のネクタイ姿。英語は流暢だが言葉を慎重に選びながら、穏やかな口調でお話しになった。当時の私の日記にはこう書かれている。「私たちが年齢順に紹介されると、私たち一人ひとりの顔をまっすぐ、ひるまずに見据えられた」

私たちは、漆黒塗のテーブル2台の近くにあった赤い椅子に腰かけた。灰皿が4つ、皇室のマークの入ったマッチ箱、そして銀のトレイの上にたばこのケースが置かれていたが、謁見中に喫煙した人がいたかどうかは覚えていない。対話をしている間、召使いが菓子と緑茶をお盆で運んできたが、その度に皇太子殿下に直接顔を向けることなくお辞儀をした。日本の印象について殿下に尋ねられたので、日本人の礼儀正しさ、東京の清潔さ、見学した歴史スポット、食した日本食について話した。日記にはこう記されている。「皇太子は、終始ほとんど表情を変えることがなかった」

私たちがフィラデルフィアから来たことをご存知だった皇太子殿下は、自身が19歳だった1953年にフィラデルフィアを訪問された時の思い出話をしてくださった。日本人にとっての主な懸念は何だと思われるかと私が尋ねると、伝統、歴史、文化を保存しつつ、それを現代のトレンドやテクノロジーと結びつけることだとお答えになられた。

互いの幸運を祈り、さらにお辞儀をした後で、謁見は終了した。この対話にテーマがあったとしたら、それは現代において古来の慣習を維持すること、つまり、昭仁上皇が繰り返しお使いになった「調和」という言葉がふさわしいだろう。

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• イラスト:Sébastien Thibault

• この記事は『The Rotarian』誌2020年1月号に掲載されたものです。