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心は若く

ホルガー・クナーク会長は、ロータリーの未来について斬新なビジョンを持っています。友達が手伝ってくれれば、すべてうまくいくことでしょう。

ラッツェブルクの4大湖のひとつ、キュヒェン湖を背景に、昼食を楽しむホルガーさんのきょうだいのバーバラさん(左)とスザンヌさんの姉妹のサビーヌさん(右)。

ホルガー・クナーク会長が掃除機をかけています。 

ここは12世紀建立のラッツェブルク大聖堂の回廊。さきほど、ヘルツォークトゥム・ラウエンブルク・メルン・ロータリークラブが毎年恒例のクリスマスバザーを終了したところです。手工芸品やヤドリギ、手作りケーキやクッキーを2日間売りあげた合計額は8,000ユーロ。今年は、重篤疾患を抱える子どもたちを支援するドイツの非営利団体に寄付されます。クラブ会員がブースを撤去してテーブルやいすを片付ける中、ホルガーさんは掃除機を手に取り、床の上に散らばるパンくずやほこり、ティンセルのかけらを掃除しています。

現在ホルガーさんは国際ロータリー会長エレクトですが、2020年7月1日の会長就任に向けて準備をしているところです。同時に普通のロータリアンでもあります。所属クラブの27年来の会員で、ほかの会員と同じように活動に参加しています。「仲間のひとりでいたいんですよ」とクラブ会員のバーバラ・ハードコップさんは言います。 

"man holt die Leute ins Boot(マン・ホルト・ディー・ロイテ・インス・ボート)"とドイツでは言うそうです。共通の目標に向かって人びとを協力させる、という意味です。ホルガーさんはほかの人に仕事をやらせて自分は脇で見ているような人ではないということを、来年度になれば世界中のロータリアンが知ることになります。ホルガーさんにとって同じくらい大事なのが、一所懸命にやるからといって楽しんではいけないわけではないという哲学。特に、最優先事項である若い世代への投資などの課題に人びとが取りくむように尽力していくわけですが、同時に、誰もが活動を楽しめるように最大限の努力を払うことになるでしょう。 

「ホルガーにとっては大原則なんです」とクラブの仲間で長年の友人であるフーベルトゥス・アイヒブラットさんは言います。「一緒に何かするときは楽しめなけりゃいけない、というのがね」

2020-21年度国際ロータリー会長ホルガー・クナーク「若々しく見えますよね」とは友人談。「実際、若々しいんです!」

ホルガー・クナークさんはRI会長としては型破りな存在です。それは、いつもネクタイなしにジーンズといういで立ちだからというだけではありません。ロータリー初のドイツ人会長で、そこに至るまでの経緯も変わっています。歴代の会長の多くとは違って、ロータリーの役職をひとつずつのぼりつめていったわけではありません。クラブ会長と地区ガバナーは務めましたが、国際ロータリーの役職で理事に就任する前に経験したのはひとつだけ。それも、研修リーダーです。ガバナーの前に地区の役職はほかに何を経験したかとロータリー研究会で聞かれたと言います。「『何も』と答えました。『何ひとつ』と。皆さん非常に驚いていましたね」とホルガーさん。

ホルガーさんは、何よりロータリーの青少年交換プログラムでの活躍で知られています。この経験は、ホルガーさんと妻のスザンヌさんにとって大変に意味深いものでした。夫妻には子どもがいないのですが、何十人もの学生たちに自宅を開放して歓迎してきました。「クナーク家はいつも人であふれています。特に、若い人が多いですね」と、クラブの仲間で友人のヘルムート・クノースさんは言います。「長年の間に何百人も迎えいれてきました」

1992年にロータリークラブに入会してからほどなくして、ホルガーさんはドイツ北部で短期交換の青少年交換学生のためのキャンプを手伝うことになります。たちまち青少年交換プログラムのとりこになりました。「素晴らしいプログラムだと思いました」とホルガーさん。「これはすごいぞ、と。ドイツ語で言えばヴォー・ダイン・ヘルツ・アウフゲート。心を開いてくれます。参加した若い人たちに聞くと、『人生で最高の経験をした』と教えてくれます。自分にできることや、ロータリーを通じて広がる可能性など、知らなかった自分を発見して驚くのだろうなと思ったりもします」

ホルガーさんにとっても可能性が広がりました。所属クラブの青少年交換委員長になり、第1940地区のガバナーを2006-7年度に務めた後、ドイツの多地区合同青少年交換委員長に就任します。2013年にRI理事に就任するまでこの役職を務めました。この旅路ではいつもほかの人びとを頼ってきた、とホルガーさんは言います。「ビジョンを一緒につくりあげて、それじゃあ行こうか、と言う」とホルガーさん。「誰もが少しずつ違う道を行くので、ひとつの道しかないということは決してありません。しかし、目標は同じであるべきです」

若い人びとはホルガーさんのやり方を直観的に理解するようです。「ホルガーさんにはビジョンがあって、そのビジョンを実行していくんです」と、ベルリン・ローターアクトクラブ会員でベルリンインターナショナル・ロータリークラブ会員のブリタニー・アーサーさんは言います。「それに、何も最近できたビジョンではないんだな、ということも分かります。ホルガーさんとスザンヌさんは、何十人も青少年交換学生を世話してきました。そんなことを、『青少年に投資しなくては』と2020年に言うためにやってきたと思いますか?ふたりはそういう人たちなんです」

また、「経験ではなく、潜在性」に賭けるホルガーさんは稀な存在だ、とアーサーさんは言います。2012年に、在ドイツのオーストラリア人国際親善奨学生としてクラブ会合でホルガーさんと少し話したことがあるそうです。そのことで、田中作次2012-13年度RI会長が開催したロータリー世界平和フォーラム(ベルリンの回)でロータリーモーメントについて講演しました。プレゼンテーションが終わったときには、これで終わりだと思ったそうです。しかし、このフォーラムを運営し、その後ロータリー研究会の立ちあげを行っていたホルガーさんには考えがありました。「何百人ものロータリアンを前に講演を終えたばかりだったんです」と彼女は振りかえります。「最高の気分でした。すると、ホルガーさんが『研究会を手伝わないかい?』と言うので、私は『はい!』と答えました」

ほかのロータリアンと同じように、アーサーさんもまた、ホルガーさんには説得力があると言います。「とっても面白くて素敵な人ですけれども、いくつかの事柄については真剣そのものです。だからこそ、これほどユニークなリーダーなんだと思います。必要とされるときに、いろいろ違うレベルで応えることができるんです」

「とっても面白くて素敵な人ですけれども、いくつかの事柄については真剣そのものです。だからこそ、これほどユニークなリーダーなんだと思います」

ホルガーさんとスザンヌさんご夫妻は旅行好きですが、生まれ故郷からそう遠くないところでずっと暮らしてきました。スザンヌさんの故郷はラッツェブルクで、ホルガーさんはその近くの、ハンブルクから北東に約64キロのところにあるグロース・グレーナウという村出身です。ふたりの生い立ちは面白いくらい似ていました。どちらも1952年生まれで、実家は家族が経営する店の2階。スザンヌさんの家は2代続くソーセージ店で、ホルガーさんの実家は1868年に5代前の祖先が創業したベーカリーです。「愛情をたっぷり受けて育ちました」とホルガーさん。「みんなが面倒をみてくれた。どこにいるか、みんながいつでも知っていましたね」

フーベルトゥス・アイヒブラットさんもまたラッツェブルク出身ですが、きょうだいがスザンヌさん(旧姓ホルスト)とおさななじみだと言います。「ホルスト一家はオープンな人びとで、それはホルガーもまったく同じです」とアイヒブラットさん。「いつでも友人たちが家に集まっていました」 

ホルガーさんとスザンヌさんはかつてスザンヌさんの祖母が所有していた家に暮らしています。となりはスザンヌさんの実家で、スザンヌさんの姉妹のサビーヌ・リーベンサームさんが住んでいます。10年ほど前に、伴侶を亡くしたホルガーさんのきょうだいのバーバラ・スターツさんがその家の最上階にある部屋に引っ越しました。2軒には合計で9部屋の客間があります。バーバラさんには孫が12人いて、さまざまな友人や元・現青少年交換学生が何十人も泊まりに来るため、いつも客間は最低でも1部屋は埋まっています。

毎朝、クナーク夫妻の自宅の居間の一角に、みんながコーヒーを飲みに集います。床から天井まで広がる掃き出し窓から、ラッツェブルクを囲む4つの湖のひとつ、キュヒェン湖が見晴らせる、居心地のいいコーナーです。昼食も一緒にすることもしばしばで、その後にはまたコーヒー。ホルガーさんにはいつもすることがあります。スザンヌさんとバーバラさん、サビーヌさんがおしゃべりを続ける間、長身を小さなソファに折りたたんで昼寝するのです。「昼寝しながら私たちの会話を聞くのが好きなんですよ」とサビーヌさん。

4人は買い出しや料理などの家事を一緒にしています。「何か必要なら、ただ頼めばいいんです」とホルガーさんは言います。「それが最高の暮らし方。一緒に暮らす、とはそういうことです。何事も秘訣は『目標は?』と聞くこと。この暮らし方がまさに私たちの目標そのものなのです」

12月のある土曜日。ホルガーさん、スザンヌさん、バーバラさん、サビーヌさんの4人は、翌日クナーク家で23人の近しい友人たちを囲んで行われるディナーパーティーで出す牛肉の赤ワイン煮を準備していました。同時に、クリスマスディナーのメニューも計画しています。客の人数は15人の予定。シャルム・エル・シェイクで知り合ったロータリアンの子女でドイツに留学中の若いエジプト人女性が招待に応じてくれたら16人です。 

ヘルムート・クノースさんは、クナーク家のおもてなし精神が「ロータリーにとっては非常に幸運なことだった」と言います。「少なくとも年1度はクナーク邸の見事な庭でパーティーが開かれますから。天気がよければ泳ぎに行くし、冬には恒例のホルガー誕生日会があります。ボートクラブに集合して、湖畔を散策するんですよ」。友人からの誕生日プレゼントはどれも、カール・アダム財団への寄付。ボートクラブ支援のためにホルガーさんが創立した財団です。(ラッツェブルクのボートクラブは世界的に有名で、1960年、1968年、2000年、2004年、2012年のオリンピックでドイツに金メダルをもたらした代表チームの中心メンバーはこのボートクラブ所属の選手たちです。同クラブの共同創立者で長年トレーナーを務めてきたのが地元の高校教師のカール・アダムさん。史上最高のボートコーチのひとりと言われ、「ラッツェブルク・スタイル」を確立した人物です) 

12月に行われたヘルツォークトゥム・ラウエンブルク・メルン・ロータリークラブのクリスマスパーティーで、ホットパンチを飲みながら、クラブ仲間のバーバラ・ハードコップさんとそのご主人ゲリットさんと会話に興じるホルガーさん(後ろに写っているのはヤン・シュメーデスさん)。

家族の写真アルバムを見ながら、クナーク夫妻は子ども時代に海辺で過ごした夏休みに思いを馳せています。ホルガーさんの家族は北海のズュルト島、スザンヌさんの家族はバルト海沿岸だったそうです。また、ホルガーさんの家族は実家から数キロのところに広い庭つきの小さな別荘を所有していて、週末はここで過ごしました。森や草原を探索したそうです。「完璧な子ども時代でした」とホルガーさん。

実家から500メートルのところに、東ドイツとの国ざかいになっているヴァーケニッツという小川が流れています。「私にとってはこの川がまさに世界の果てでした」。夏には友人たちと一緒に度胸試しで小川を泳いで渡ります。向こう岸には沼地や地雷原、東ドイツ兵が警備する見張り塔がありました。1989年にベルリンの壁が壊されると、「まずしたことは、自転車で川の向こう側を探索することでした」とホルガーさんは言います。「見張り塔はどれも開放されていました。高いところから村やうちを見たことは、それまで1度もありませんでした」

学校時代、ホルガーさんは週末や休暇には実家のベーカリーを手伝って配達をしていました。高校を卒業すると、家業を学ぶために他店で2年間見習い修行に。「だからパン作りは得意ですよ」と陽気にホルガーさんは言います。「今でもパンを作るのは好きです。好きなことでなくては秀でることはできません。どのようなマーケティングテクニックを使うにしても、大事なのは品質です。品質というのはつまり、製品を愛し、自分にできる最善のものを作ろうとすることです。しかし時間はかけないといけない。たいていの場合、それが秘訣ですね」

見習い時代を終えて、シュトゥットガルトの大きな工場でインターンとして働いてから、ホルガーさんはキールで経営学を学びました。初めての学生集会で、彼は将来の妻と出会います。「スザンヌと会ったのは1972年9月20日です」とホルガーさん。「そのことはよく覚えています」

ホルガーさんとスザンヌさんはよく友人に料理をふるまう。ホルガーさんのきょうだいの台所で料理するふたり。

スザンヌさんの印象には残らなかったようです。クラスに男子学生は94名いた一方で、女子学生はたった3名だったからかもしれませんが。その後ほどなくして彼らは知りあい、週末には一緒に車で実家に帰り、それぞれ家業を手伝いました。日曜の晩にキールに戻るときは、ふたりはクナーク・ベーカリーのパンとホルスト店のソーセージをどっさりと車に積みこみました。「友達はみんな決まって月曜に遊びに来るんです」とスザンヌさんは笑いながら話します。

ふたりは1975年に卒業し、翌年結婚。それぞれ家業を手伝いつづけました。当時、クナーク・ベーカリーは何軒か店舗を展開していて、50名ほど従業員を雇っていました。1970年代後半に父親から事業を受けつぐと、ホルガーさんは会社を大きくすることにします。また、パン作りに使っている小麦粉の生産元を把握しようと思いたちます。それで、農業にたずさわり、ほかの農家と協同組合を設立した友人のフーベルトゥス・アイヒブラットさんの力を借ります。また、所有している農場でオーガニックの穀物栽培を栽培していた欧州最大手の眼鏡チェーンのギュンター・フィールマンさんとも提携しました。ホルガーさんとフィールマンさんは製粉所を共同で設立し、オーガニックの製パンや製菓を販売しました。これは30年前にはまだ誰もやっていなかったことです。「ホルガーはいつでも変革的でした」とアイヒブラットさん。「こういうことにとても先見の明があるんです」

また、パン製造を店舗で行うという変革も行いました。それ以前は、パン製造は工場で行われ、できあがったパンはトラックで店舗に運ばれていました。これを、パン生地は従来通り工場で作り、それを小分けにして冷凍し、店舗で焼くというのがホルガーさんの変革的なアイデアです。彼のモットーは、デア・フリッシャ・ベイカー。「焼きたてベーカリー」です。今日では、ドイツ中のベーカリーが同じ方法をとっています。

ホルガーさんは事業を拡大しつづけ、ついに約50店舗、1工場、何百人もの従業員という規模に達しました。ここで、ベーカリーに投資していた国際的な企業から買収のオファーを受けます。とても条件のよいオファーだったので、買収に合意しました。まだ40代という若さだったホルガーさんはほかの事業に身を投じ、ゴルフを覚えます(始めてすぐにゴルフクラブの会長に選ばれました)。40歳未満の人びとを対象とするRound Tableで積極的に活動していましたが、39歳のときに近隣のメルンのロータリークラブに入会します(その直後にラッツェブルクで友人の多くが創立会員として新しいロータリークラブが結成されても、彼はメルンのクラブに残りました)。それから間もなくして、彼はロータリー青少年交換に自分の使命を見つけます。

12世紀設立の大聖堂と極寒の湖で有名なラッツェブルク。

歴史ある大聖堂や外面真壁づくりの市民の住宅など、中世の街並みが残るラッツェブルクは極寒の湖4つに囲まれた島にあります。そのような湖はドイツ北部のシュレスヴィヒ・ホルシュタイン州には点在します。曲がりくねった道路はなだらかな緑の田園地方から、この地方でよく見られるレンガづくりの建築物でできた農場や村へと抜けていきます。クナーク夫妻のもとに滞在した学生たちは、こうしてまるで絵葉書のようなドイツなどより余程深い体験をしています。

ユライ・ドヴォルジャクさんは、クナーク夫妻が1996年に初めて受けいれた学生のひとりです。スロヴァキアに帰国すると、当時16歳のドヴォルジャクさんはホルガーさんとスザンヌさんにカードを送ります。夫妻はまた遊びに来るようにと彼を自宅に招待しました。しかし、父親が心臓発作で亡くなり、ドヴォルジャクさんは再訪するのは無理だとふたりに伝えます。ホルガーさんとスザンヌさんは、ドヴォルジャクさんの母親と口をそろえて、計画通りクナーク家を訪問するようにと説得します。 

 「1カ月滞在したのですが、私のために何でもしてくれました」とドヴォルジャクさんは振りかえります。「ふたりとはそれ以来ずっと親しくさせてもらっています。ホルガーさんとスザンヌさんと出会っていなかったら、今まで人生の数多くの局面でふたりが導いてくれなかったら、私がこれまで成しとげたことは実現不可能だったことでしょう」ドヴォルジャクさんは現在ウィーンで未公開株式投資会社を経営していますが、彼が言っているのは物質的な成功のことではありません。「何にもなかった私がひとかどの人物になることができました。金銭的なことを言っているのではなく、健全な人間性という意味において」

ホルガーさんと「いつも真剣に議論した」とドヴォルジャクさんは言います。今でも毎年ふたりに会いにラッツェブルクを訪れているそうです。「大事なのはお金ではないということ。それに、仕事を楽しんで、人生も楽しむべきだと教えてくれました。旅行して見聞を広めるようにと教えてくれました。それから、ご友人のロータリアンとの会合にも何度も連れていってくれました。どうしてそうしてくれたのか、当時は分かりませんでしたが、年をとると、見知らぬ人とどう接すればいいか学ぶというのは本当に貴重な機会なのだということが分かります。成長させてくれたんです」

ホルガーさんとスザンヌさんについて、ドヴォルジャクさんはこう言います。「ふたりは心が広くて、面倒を看ている相手に対して責任感が強い。ほかの人びととは違います。サッカーでいえばチャンピオンリーグ級ですね」

クナーク夫妻は学生のメンター役を務める責任を非常に重くとらえています。「青少年交換の主な目標は異なる文化に跳びこみ、その文化についてできる限り何でも学ぶ、というものです」とホルガーさんは言います。「青少年交換の素晴らしいところは、ロータリアンが自分の子どものように扱ってくれると信じて、保護者たちが子どもを世界中の国々に送りだすところです。この信頼が、このプログラムを特別なものにしています。このようなやり方をとっている奉仕団体はほかにありません」

ポーラ・ミランダさんは2008年に青少年交換で留学した際、最初のホストファミリーだったクナーク夫妻のもとで3カ月を過ごしました。1月に故郷アルゼンチンを発って、ラッツェブルクに到着。「午後4時でしたがドイツではもう日が落ちていて、一体どういうところに来てしまったんだろう、と思ったのを覚えています。そうしたらふたりがドイツ料理で歓迎してくれて」

「大事なのはお金ではないということ。それに、仕事を楽しんで、人生も楽しむべきだとホルガーさんが教えてくれました」

1カ月後にミランダさんが19歳の誕生日を迎えると、クナーク夫妻は彼女が学校で知りあった新しい友人を数人招いて、誕生日パーティーを開いてくれました。「ふたりはアルゼンチンでやるみたいにアサード(バーベキュー料理)をやってくれたんです」とミランダさん。「自分の家にいるみたいにくつろげるようにしてくれていて、その心遣いが本当に嬉しかったです。ふたりがホストファミリーではなかったらまるで違った1年になっていたことでしょう。ホルガーさんとスザンヌさんが大好きです」

第1870地区のパストガバナーであるアロイス・サーワティさんは、25年前にドイツの多地区合同青少年交換会議でクナーク夫妻と出会いました。「ホルガーさんもスザンヌさんも素朴でオープンな感じで、若い人の心を開き、やる気を育ててくれます」とサーワティさんは言います。「おふたりに会えば、若い人が好きなのだとすぐに気づきます。ロータリーは若くありつづけないといけない、若い世代のために若い世代と一緒に活動することで若くありつづけられる、というのがホルガーさんの考え方です」 

ドヴォルジャクさんも口をそろえます。「12月にホルガーさんに会いましたが、この24年間でまったく変わっていません。今でも昔のままで。ちょっとしわが増えたくらいです。青少年交換プログラムにエネルギーをもらっているのでしょう」

ドイツのローターアクターの間でよく耳にする「アウフ・アウゲンヘーエ・ビゲグナン」(目線の高さを合わせる)という表現があります。「これは、誰もが対等で、公平な塲にある、という意味です」とスザンヌさんが説明します。「理事でも運転手でも関係ありません。何かについて話しあって、解決策を見つけ出しても、命令されたように相手が感じないのです」

家族や友人によると、ホルガーさんはこのことに非常に長けているそうです。「何か自分でできないことがあると、ほかの人に任せるのがとてもうまいんです」とスザンヌさんは笑います。「それを得意とする人が分かる。夫の才能ですね」

その好例が、ベルリンでローターアクターと協力して開催したロータリー研究会だと彼女は言います。「ローターアクターたちが『分科会を担当します』と言うと、『それはダメですよ』と言うのではなく、『お願いします』と夫は言っていました。人びとがかならずうまくやってくれると信じているんですよね。とはいえ、目立たないところで目は配っていますが。ハンブルクの国際大会についてもそうでした」。2019年ホスト組織委員会の共同委員長を務めたのはホルガーさんとアンドレアス・フォン・メラーさんです。「あのときも大勢のローターアクターが参加していました」

「だからこそ、クラブは大事にしないといけないし、クラブの仲間も大事にしないといけません」

ロータリーとローターアクトの距離を今後も近づけていく、というのがホルガーさんの主な目標のひとつだとスザンヌさんは言います。「夫は達成したいことで期待をふくらませています」。ホルガーさんがやる気になると、「ほかの人たちもやる気にさせる」とスザンヌさんの姉妹のサビーヌさんが付けくわえます。ブリタニー・アーサーさんは「彼のビジョンに賭けてみたいと思うようになるんですよ」と評していました。

キュヒェン湖の輝く水面が見晴らせるHotel Seehofの日当たりのいいカフェに、ホルガーさんの友人たちが集っています。フーベルトゥス・アイヒブラットさん、ヘルムート・クノースさん、イェンス・ウーウェ・ヤンセンさん、アンドレアス・ピーター・エーラースさん。みんな彼と同じくヘルツォークトゥム・ラウエンブルク・メルン・ロータリークラブの会員です。ホルガーさんはある意味ボランティアを率いる天才だ、と口々に言います。ホルガーさんが地区ガバナーだった年度に地区幹事を務めたエーラースさんが、当時の様子を話してくれました。「それまでは、ほかのガバナーのもとでは『誰かがこれをやるべきだ』とか『誰がこれをやるんだ?』という具合でした。ホルガーはとても具体的に、『フーベルトゥス、考えたんだが、この仕事には君がうってつけだと思う』と言うんです。『こういう形になると予想している。君にはぴったりの仕事だから、フーベルトゥス、君がひきうけてくれたら本当に嬉しい。君がやってくれるなんて素晴らしいよ!』という風に。そんなことを言われたら断れません。それに、頼んでおいて後は知らないというわけではないので、喜んで彼のために動けるのです。1カ月経つと、『フーベルトゥス、何も問題はないかい?何か手伝えることはないかな?』ってね」

エイヒブラットさんはこの説明に笑いますが、ホルガーさんが成功を収めるのは彼の情熱がほかの人にも伝わるからで、みんなのお手本になるからだと強調します。「ポジティブな性格の模範例のような人なので、ほかの人たちをやる気にさせるのはホルガーにとってそんなに難しいことではないんです」

話題がホルガーさんの長所になると、「機嫌の悪いホルガーさんは見たことがない」という、よく聞かれる話がここでも出てきます。とはいえ、ホルガーさんは決して完璧な人間ではないと親友の彼らは請けあいます。「弱点を見つけないと」と言いだしたアイヒブラットさんは、考えた挙句に無害な欠点を挙げまました。「とてもファッションにうるさいんですよ。あの眼鏡!」

ホルガーさんの独特の眼鏡が話題にのぼると、一斉に話し出す仲間たち。「あんな風に眼鏡をかけるのは彼だけですよ」とエーラースさん。「壊れてもご心配なく、替えの眼鏡がありますから!」

 「彼のトレードマークなんですよ」とクノースさんも言います。「あの眼鏡しかかけたところは見たことがないですね。それに、ネクタイは滅多につけない。いつでもジーンズ姿。若々しく見えます。実際、若々しいんですよ!」古くからの友人たちがうなずき、談笑しながらカプチーノを飲みほします。 

アウトドア好きのクナーク夫妻。ラッツェブルクの地域歴史博物館の前で休憩する、サイクリング中のホルガーさんとスザンヌさん。

どんなに一生懸命に働いても、同時に楽しまなくてはというホルガーさんの哲学は、特にロータリーに合っています。「世界中を旅行して人びとと話しあうというのは、夫にとって楽しくてしょうがないんですよ」と、ハンブルクコネクト・ロータリー衛星クラブの創立メンバーであるスザンヌさんは言います。「夫にとって、ロータリーは楽しいもの――それは私にとっても同じことです」 

ホルガーさんの願いは、みんながロータリー活動を楽しみ、ロータリーの一員であることを誇りに思うことです。「誰もがこの団体を大事に思っています。それに、ロータリーをより強固なものにするために何かするべきだと誰もが思うべきなのです」とホルガーさんは熱弁をふるいます。「難しいことではありません。クラブの活動にもっと積極的に参加するのでもいいし、友人たちにもっと関心を持つのでもいいし、プロジェクトやプログラムにもっと積極的に参加するのでもいい。『うちのクラブは青少年奉仕活動を行っているだろうか?』『資金集めのもっといいアイデアはないだろうか?』と自問してみてください。それに、会員が楽しめて、居心地よく感じられて、誇りに思えるようにするのはクラブの責任です。ロータリアンであることは特別なことだと感じられるようでなければならないのです」

来年度について思いを馳せるホルガーさんは、RI会長は地区大会など数多くのイベントに招待されるが、会長はその大半に代理人を派遣する、と指摘します。ホルガーさんは第1940地区の地区大会にみずから出席するつもりです(オンラインで、とはいえ)。本年度の第1940地区のガバナーであるエドガー・フリードリッヒさんは、ヘルツォークトゥム・ラウエンブルク・メルン・ロータリークラブの仲間です。「自分の地区は特別扱いしても許されるでしょう。特に、地区ガバナーが自分のクラブ出身なら」とホルガーさん。「所属するクラブはとても大事です。ロータリーでどんな役職を経験したのであれ、どんなに重要な人物であれ、最後の最後には、誰でもいつだって所属するロータリークラブの会員であり、仲間と一緒にいると楽しいのです。 

だからこそ、クラブは大事にしないといけないし、クラブの仲間も大事にしないといけません。会長を務めたなんてどうでもいいことです。最後に大事なのは仲間に囲まれていることなのですから」

• このストーリーはThe Rotarian 誌2020年7月号に掲載されたものです。