シカゴで弁護士事務所を開業したハリスは、地元の専門職業人を集め、親睦と協力のための組織を結成するという構想を描きました。仕事を通じて知り合った人たちにこの構想を打ち明けたハリスは、1905年2月23日、初のロータリー・クラブ会合として後に知られることになる会合を開きました。
ハリス、ガスターバス・ローア、シルベスター・シール、ハイラム・ショーレーの4人が、シカゴ中心街のユニティ・ビルにあるローアの事務所(711号室)に集まり、新しい組織を結成するというアイデアについて話し合いました。2回目の会合には5人目の会員、ハリー・ラグルスも招かれました。3回目にはさらに数人が加わり、会員たちによってシールが初代会長に選ばれました。
シールに続き、アル・ホワイトが2代目クラブ会長に選任されました。なかなかクラブ指導者の役職に就かなかったハリスですが、1907年2月、シカゴ・ロータリー・クラブの3代目会長に選出され、1908年秋まで会長職にとどまりました。この間、ハリスは執行委員会(後に「Ways of Means委員会」と呼ばれる)を設置して、昼食時間中に委員会会合を開き、会員なら誰でも参加できるようにしました。この昼食会合が、ロータリーでのクラブ昼食例会の伝統のはじまりとなったのです。
クラブ会長の職を退く直前、ハリスはロータリーをシカゴ以外にも広げようとひそかに試みていました。当初、さらなる経済的負担を懸念した数人の会員が拡大に反対しましたが、ハリスとほかのロータリアンが粘り強く活動し、1910年、ロータリーは米国のいくつかの主要都市に拡大しました。
このようにロータリーが拡大する中、ハリスは、理事会と全米協会を結成する必要性を感じていました。1910年8月、主にハリスの働きかけにより、シカゴで第1回の全国大会が開催されました。当時あった16のクラブがロータリー・クラブ全米協会を結成し、ハリスが初代会長に選ばれました。
会長を2期務めた後、ハリスは、健康上の理由、および「夫としての役目」と弁護士業での多忙を理由に会長職を退きました。その後、大会の決定によって名誉会長に選ばれたハリスは、生涯名誉会長となりました。
1920年代半ばから、ハリスは国際大会に参加したり、世界中のクラブを訪問するなど、再びロータリーに活発に関わるようになりました。
1933年6月27日、国際大会でのボストン交響楽団の演奏がラジオで放送された際、幕間にハリスが行ったスピーチをお聴きください。 ファイルをダウンロード
ロータリー創立27周年にあたる1932年2月23日、初期のシカゴ・ロータリー・クラブ会員に向けて話すハリスの映像を、以下でご覧ください。